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山谷夜回りの会









炊出し覚え書き

 このコーナーでは炊出しで感じたことや、当会の意見アピールなどを載せていきたいと考えています。


今思ってること

2005年2月 O.K.
 生き方は人それぞれで、深い事や本当のところは、
 ホームレスの方ひとりひとりと向かい合わないとわかりません。
 ホームレスの方も、そうじゃない私も、そんなに違わないと思います。
 私の中では、境がありません。
 ただ、会社や組織で自分を守るために、人を傷つけたり、
 手を汚してきたおとなをたくさん見た私には、
 山谷のおじさん達の、身ひとつで生きる姿は、潔く強いなあと思うのです。


なんとなく始めた炊き出し

2004年8月 K.T.
 特に何がきっかけという事もなく、なんとなくホームページを見てなんとなく炊き出しに参加してみた。最初はやっぱり恐る恐る、青いビニールテントをノックするのも勇気が必要で、テントの中が留守だったらちょっと安心したりして。おいおい、留守で喜んでたら炊き出しする意味ないぞって自分で自分に突っ込んだりして。
 当たり前だけど、やってみたらホームレスのおじさんもホームレスじゃないおじさんも何も変わらない。おにぎりをもらったらだいたいの人は「ありがとう」って言ってくれるし、おなかがすいてなくていらない人は「いらない」って言うし、おにぎりは受け取るけど特に感謝するそぶりも見せず、なぜか逆に偉そうにしてる人もいるし。いろんな反応をする人がいるっていう所もホームレスじゃない人たちと同じ。
 ホームレスは社会の迷惑だから対策しないといけないとか、ホームレスは好きでやってるんだから放っておけばいいとか、ホームレスはかわいそうな人たちだから助けてあげないといけないとか、色々な意見を聞くけど、たぶん全部正解で全部はずれだと思う。「ホームレスは○○だから」なんて「人間は○○だから」っていうのと同じぐらい意味がない。人間には○○な人もいるし、××な人もいるし、△△な人だっている。一人一人みんな違う人だし、同じ人でも良い事をする時もあるし悪い事をする時もある。
 じゃあどうすればいいんだ?って、よくわからない。ホームレスの人たちに対してどうする事が正しくてどうする事が間違っているかなんて全然わからない。でもたぶん自分が家もなくて仕事もなくて食べるものもなかったら、とりあえず食べ物をもらったらうれしいと思う。本当にそのおじさんがうれしいと思ってくれるかどうかはわからない。でも僕は自分がもらったらたぶんうれしいだろうからそうする。
 なんとなく始めて続くかどうかもわからなかったけど、気がつけば炊き出しにいくのが楽しみになっていた。なにが楽しいのか自分でもよくわからない。でも、そうなってしまえば楽しいからやるっていうだけで他に理由はいらない。ホームレスのおじさん達のためとかそんなの別にどうだっていい(っていうのはちょっと言い過ぎかもしれないけれど)。自分が楽しいからやる。ただそれだけ。でもそれで十分だと思う。


ぬくもりの連鎖

2003年4月 T.K.
 おむすびを差し出して、おじさん達から言われる「ありがとう」。今まで何度ももらったこの言葉。
 お礼をたくさんたくさん言われ続けると、ピノキオの鼻よろしく、偉い偉いと、自分で自分に拍手しがちな自分。
 けれど、不思議なほどに、“してあげてる”という高飛車な感じは生まれてこない。
 「なんでだろう?!」
 むしろ、心の中に“あったか〜いもの”をもらっているのは自分の方だなぁと思う。嘘でなく。
 そのぬくもりが気持ちよくって、しみじみ嬉しくて、三日坊主の自分にも続いてるんだろう。
 ぬくもりはどこからくる?おじさん達の「どーも」から。お礼の小さなおじぎから。
 おむすび二個分の安心、ほんのわずかであっても手渡せた喜びから。
 おじさんが少しでも喜んでると思うと自分も嬉しいから。
 「喜び、ぬくもりは連鎖するよ。」
 このぬくもりのわかちあい。この小さな活動を、続ける仲間がいる喜び。
 その仲間も、老若男女である喜び。このぬくもりはバリアフリー&エイジレスらしい...。
 屋根が無い暮らし。経験が無い。おじさん達はたった今、経験中。
 言える事は、間違いなく厳しい暮らし。雨風しのぐ為に、わずかな場所を争う事もあるでしょう。
 そんな毎日に、おむすび二個のぬくもりは、本当にわずか。
 でも、崖っぷちの状態でも、うんざりすることばっかりでも、本当にわずかなぬくもりでも、つながっていようよ、そう思う。
 おじさん達に、たくさんぬくもりをもらったせいでぬくもりの連鎖に、少しずつ強く繋げられているのは自分自身、そう思う。
 ぬくもりの連鎖で、憎しみの連鎖を断ちきれちゃうといいなぁ。


白髭橋で聞いた話

2004年2月 O.T.
 白ひげ橋横のちょっとした広場でおにぎりを受け取るために並んでいる列の中に混じって立ち話をしていると、いろいろな話が耳に入ってくる。最近聞いた話を幾つか紹介します。
 自分は長崎県出身で71歳、景気がよかった頃親方が長崎に来て仕事があるからとさそってくれた。その言葉を信じて東京に出てきた。しばらくは仕事もあって若かったのでばりばり仕事をして順調だった。でも不景気になって、仕事が無くなり親方もどこかへ消えてしまった。それからは時々仕事がまわってくる程度で、住む部屋の部屋代も払えなくなりとうとうホームレスになってしまった。今は隅田川沿いで毛布一枚掛けて寝ているけど、寒くてよく眠れない。親戚がいる長崎に帰る事も考えたけど、今更おめおめと帰る事などとても出来ない。このまま年を取って病気になってどこかで死んでしまうのだろうよ。
 この話を横で聞いていた仲間の一人が口を開いた。
 東京都か国か知らないけどなるべく医療費がかからないような方法を考えているんだってよ。60歳以上のホームレスが病気になって入院でもすると、注射だ薬だと医療費がかかるから、医療費がかからないようにするため、注射一本で殺してしまうんだってよ。だからおれは病気になっても医者なんかに行かないんだ。
 隅田川沿いには建築現場で見かける青いビニールシートのテント小屋が並んでいる。人間だから水を飲み、食事をし、排便をしなければならない。近くに公衆トイレがあればそこを使うが、無ければ近くの木の根元で用を足すことになる。そんな場所を区の役人がよく思わないのは当然かもしれない。ビニールシートのテントに警告書が貼られていることがよくある。読むと何月何日までに撤去しないと区が強制的に撤去するというような内容である。区が強制的に撤去するのは花見時に合わせてだそうである。春のうららの隅田川にはビニールテントは不似合いという事なのだろうか。


吹き溜まる場所

2003年12月 K.Y.
 昨日、24才の息子が毎日午前様で休日も返上の仕事に疲れきり、「もう、仕事を辞めたい、ホームレスになる覚悟も出来ている。」とぼやきました。 そういえば、若かりし頃、家族を支えるのに、いっぱいいっぱいになっていた夫も夫婦喧嘩の時、同じ様な事を言ったっけ、、。自己犠牲を強いられる今の社会システムから掃きだされて、吹き溜まる場所、そこが、山谷でしょう。
 隅田川沿いのブルーテントを廻って「おにぎり、いかがですか?」と声をかけると、「ありがとう」と云って、ブルーテントやダンボールハウスから、手だけがそっと出てきます。


残った2つのおにぎり

2003年10月 S.H.
 昨日はいつものボランテイアの皆様と心休まるひとときを共にして頂き、ありがとうございました。私の夜回りの持ち分のおにぎりは最後に2つ残りました。帰りの電車の中でA先生いわく、「ホームレスのおじさん達と同じ立場になって家でたべなさい」。でも特売で買って冷蔵庫にため込んだ食物を早くたべなくちゃ!賞味期限切れ専門家の私でも焦る状態だったので、おにぎりはもっと喜んでもらえる人に・・・・・・そこでいつだったか「山里の家」がまだあった頃、帰り際にBさんがまんじゅうどっさり「食べられるうちに持ち帰って!」。こんなにたくさん1人で食べられない。そうだ!帰り道に通る公園の屋根付き休憩所に常駐しているおじさんたちに配ってみよう。「まんじゅうがたくさんのこっていますから、どうぞ食べて下さい」。「山里の家」で飲んだビールの酔いがさめないうちに、勇気をふりしぼって言いました。こんどはしらふ・・・・・・・山谷よりずっと夜が冷え込む広大な森に囲まれた休憩所のベンチの上で、薄い毛布1枚をかぶって寝ているおじさん2人に「おにぎりがのこっているんですけど、いかがですか?」「あっ!どうもすみません。ありがとう」と2人とも受け取って下さいました。思いがけないささやかな心遣いを素直に喜んで下さったようです。「やったぜ!」神に感謝、ホームレスのおじさんに感謝、心安らぐひとときを分かち合ったボランテイアの皆様に感謝!



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